『死にぞこないの娘』

2016.09.05.Mon.18:19
流れ切っちゃうようで申し訳ないけど私にとっての父方祖母、母にとっての義実家・糞トメにしたDQN返し。

母は、若くして倒れ要介護だった実母(私の母方祖母)を介護する為に高校進学も諦め、下の弟妹の為に家事もこなす苦労人だった。
伯父が言うには高校に行かせてあげたいぐらいに頭は良かったようだが 母本人が介護・家事の為に自ら進学を諦めて家族に尽くしたそうだ。
その後母方祖母が介護の甲斐なく40代で亡くなり、母は勤め先を変えた。

その転職先で母に一目ぼれした父(高卒)は母に3年かけて求婚。
だが、父方の祖父・祖母ともに「片親の中卒の娘なんて!」と猛反対。
家柄が汚れるだの碌でもない子供が生まれるだの言われたそうだ。
健在だった母方祖父が父方祖父母に玄関で頭を下げてお許しを貰い結婚。
そこから母に対する父方祖母(以下糞婆)の嫁いびりが始まった。
結婚後母は仕事を辞め専業主婦になり、父方実家に近いところに家を建てて住んでいた。
そこに毎日のように糞婆はやってきて、ネチネチ文句をつける。
母は綺麗好きで庭の手入れもしっかりする人だったのだが せっかく手入れした花壇も踏みつぶされてばかりだったそうだ。

二言目には早く孫梅男梅とテンプレ通りの呪詛の嵐。
糞婆と同居している父方伯父(父の兄)の所にはもう男孫がいたのに、分家の繁栄の為にも早く早くとうるさかったそうだ。
やがて母は妊娠するも、糞婆からのストレスで3回流産した。
3回目は祖母に突然殴られて転んだせいだったらしい。
母方祖父や伯父や叔母達が母のケアにつとめ、父も糞婆から守ろうとしたが 父も所詮糞婆の子、実母である婆からしなしなと言われたら強くは出られず、そのうち
「お袋のいう事を聞いていればそのうち上手くやれるから」
と洗脳されエネ夫化した
結婚後8年後にようやく生まれた子供が私で、女かつ早産だった為 医者からは「数日以内に死ぬか脳に障害が残るかもしれない」と言われていた。
それを聞いた父は糞婆にそのまま伝達→産院までやってきて
「死にかけのか●わの孫なんぞいらん!そのまま死なせてしまえ!」
と母と医者に言い放ったらしい。
(それ以降糞婆はその産院に出入り禁止・弟の時は門前払い)
私は幸い障害も残らず無事に退院するも、母曰く
「出産祝いも無し・親戚総出のお祝いもなし・お宮参りは近所の小さい宮に勝手に連れてかれて賽銭投げておしまい」
とかなりぞんざいな扱いで辛い思いをしたと話してくれた。
不憫に思った母方の祖父や伯父達が地元の立派なお宮でちゃんとしたお宮参りをしてくれたと。
なので私のお宮参りの写真は2種類ある。
3年後に弟が生まれた時だけは糞婆、母に猫なで声で寄ってきたと。
よくやった、これで分家も繁栄出来る、良く出来た嫁だと褒めまくり気持ち悪かったそうだ。
糞婆だけでなく父方祖父も、弟に対しては関心を示したそうだ。
弟がらみの行事だけは豪勢にされ、私の時との差に母は愕然。父は空気だった。
物心がつく頃には、母と私に対する扱いは酷いもので、年始の宴会、親戚の集まり、法事のほとんどは母と私だけは下座に座らされた。

理由は「片親中卒の出来そこないと、その女が生んだ死にぞこないの娘」だから。
他の伯父・叔父一家は御給仕やお茶出しの手伝いも免除。ほとんどを母と私が押し付けられていた。

伯父嫁・叔父嫁さんが手伝いますよ!と言っても糞婆が「あんた達はいいの、あの女中にやらせとけ!」と皆の前で言う。
二言目には学のない中卒の嫁だから~の連呼。
それが15年ほど続いた。
父は「ばーちゃんのいう事をちゃんと聞いて手伝いをしろ」とエネ夫状態。
自宅を増改築した時も糞婆は親戚を引き連れてやってきて、まるで自分が資金提供をしたかのような顔で自慢開始、増えた部屋を見て「これだけ部屋があれば介護が必要になったら頼めるねえ」と言う。
その瞬間、母が少しだけキレた。
「お義母さん、中卒の嫁は出来そこないで怖いから嫌じゃないんですか?」
母の顔は笑っていなかった。初めてみた母の反撃だった。
糞婆も動揺したのかそそくさと帰っていった。

それから父方祖父が亡くなり、祖父が亡くなった事で弟も近寄らず、同居している伯父一家も仕事で忙しくなって構って貰えず寂しくなった糞婆は毎日のように母に電話をかけてくるも母も何かに目覚めたのか無視。

すると私の携帯に糞婆から電話がかかってくるようになった。
「寂しいからたまには顔を出してほしい、かわいい孫の顔を見たいんだよ」
と。
「死にぞこないの娘はいらないんじゃないんですか?」
と返したらもうかかってこなくなった。
そこから数年、母と私は一切接触を持たずにいた。
進学した大学名も、その後の就職先も黙っていた。
母は父に、家族の事をこれ以上糞婆に話したら離婚するぞと突き付けていたので 母無しでは家事も何も出来ない父は従うしかなかった。もはや空気以下。

そして本家の孫長男(私にとっては従兄)が結婚する事になり、糞婆とも同居を快諾。
このご時世になんて物好きな人だろうと思ったが、従兄嫁さんは物好きな上に少し変わった人で性格はさっぱりしてくよくよ悩まないタイプ。農作業大好きで田舎特有の付き合いもOK、嫁いびりとかされてみたいよね、んで反撃して論破してみたいよね!と言える人。
そこで私は母の事を話してみた。
長い事嫁いびりをされていた事、学歴を理由にまともな扱いを受けてこなかったこと。
もしかしたら従兄嫁さんもそのうち糞婆にひどい目に遭わされるかもしれないと。
それを聞いた従兄嫁さん、嬉しそうに協力するよ!と言ってくれた。

それから間もなく、祖父の法事があって親戚が一堂に会する機会があった。
母と私はいつも通り下座(といっても廊下)に座って親戚達に給仕・お茶出し。
久々に会う親戚達は私の事を色々聞きたがるので、お茶を注ぐ度に大学名と企業名を言ってやった。
大学は田舎の人間でもわかるぐらいには有名、勤務先は地元では超優良企業とされている大企業。
親戚達の態度が一瞬にして変わっていくのを見た。
「立派になってえらいねえ、お茶くみはいいから座って美味しいものを食べなさい」
と言われたので、糞婆に聞こえるように言ってやった。
「いいえ、私は昔から祖母に『死にぞこないの娘』って言われてましたし、『片親中卒の出来そこないの女の娘』って言われているので大した人間ではありません。
なので母と私はずっと下座なんです。同じ孫でも私はゴミ屑以下なんです。
同じ親から生まれても、弟は上座で私は下座なんですよ」
母もそれに続くように、
「そうなんです、中卒で学のない私から生まれた娘というだけで、どんなに努力して大学出て会社に勤めても、この家では認めて貰えないんですよ。
せめて息子が上座に座らせてもらえることだけが幸いで……」
と泣いたフリ。
ちなみに弟は勉強嫌いだった為その当時はフリーターだった。
それを聞いた糞婆、慌てたように「そんなこと言ってないだろう!」と叫ぶ。

「でもお祖母ちゃん、昔から私の顔を見る度に死にぞこない、カ●ワもどき、お前は本当は死ぬ予定だったんだよって言ってたよね。
私はそっちの方の席(上座)には座っちゃ駄目って言ってたじゃん。
中卒女とその娘は座る資格がないって言ってたよね?
跡取りにもならない役立たずだって言ってたよね?
この家は学のある人間から上座に座れるんだよね?
じゃあどうしてお祖母ちゃんは上座なの?小卒でしょ?」
と追い打ちをかけた。
生まれた時代もあったかもしれないが、糞婆は中学に行ってない。

親戚達はどうもその辺りの事は知らなかったようだ。
今まで母と私だけが給仕役だったのも、母が自ら申し出ていたと思っていたらしい。
すると上座側に座っていた従兄嫁さんが立ち上がり、
「叔母さん(母)がその理由で下座に座らなければならないなら私も失格です!
高校中退だから私も中卒の嫁ですよ!わーごめんなさい、私ごときが上座に座っちゃって!」
更に慌てる糞婆と親戚一同。
糞婆、「あわ…あわ…」しか言わなくなってた。

私は無言で婆に近づいて無理やり立たせるとそれまで母が座っていた場所まで引っ張り、
「早くそこに座れぇ!!!」
と怒鳴って座らせてやった。
そして耳元で
「今までの事を母に詫びろ、それとも家で引き取って毎日耳元で死ね死ね、学のない小卒は役立たず、早く閻魔様の所に行けって言ってあげようか」
と囁いた。その時点で糞婆失禁。
絨毯の床でなく板張りの廊下で何年も何回も座らされていた人間の気持ちを少しでもわかって欲しかったし、嫁いだころからずっと我慢していた母の苦しみをわかって欲しかった。

とどめは母がさした。
糞婆がした粗相を雑巾で拭いて、それをそのまま糞婆の顔にべっちょりつけた。
「もし私がお義母さんの介護をすることになったら、毎日こうしますよ」
糞婆そのまま気を失って倒れた。
そのまま母と私で帰ってきたので後始末はどうなったのかわからないが、従兄嫁さんメールでは、
「あれから塞ぎこんで離れから出てこないんだよね、私にも嫁いびりして欲しいのにつまらないなー(笑)」
とあった。
このままボケて施設にでも入ってくれたらいいと思う。


長文スレ違いすみませんでした。
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